2014年04月30日

名刺デザインにみる日米差

起業すると、それまでのサラリーマン生活では気づかなかったり、見落としていたことがいろいろと見えてくる。
最近不思議に思ったのが名刺だ。
仕事柄、多くの方と名刺交換する機会がある。相手に事業主が多いこともあるのだろうが、折り込みチラシのようなやたらと情報満載な名刺をいただく。
たしかに、どんな人物像かとか、どんな業務内容だとかが、わかりやすいって言えばわかりやすい。
やっぱり営業活動には有効なのかな、と思いつつ自分の名刺と比較していた。
その時思い出したのが、以前海外関係の仕事をしていた際に欧米のビジネスマンからもらった名刺だ。
そんなチラシみたいな名刺など見たことはなかった。
想像だが、おそらくこれは日本独自のものなのだろう。
欧米では、お互いが十分紹介しあった後に名刺交換を行うのが一般的なビジネスマナーなので簡素な名刺であってもよいのだろう。
また欧米のビジネスシーンには「エレベータートーク」というビジネススキルの慣用句が存在している。
これは、ビジネスプランをプレゼンテーションするにあたり、忙しい会社トップなどにはエレベーターに同乗しているわずかな時間に印象づけようというものだ。
このような自己紹介に関するプレゼンは、口頭でしっかり行えるということが欧米では一つのスキルとして欠かせない。そのため、おそらくは名刺にはそんな発想が及ばないのだろう。

以上は、ビジネススタイルの差に起因するデザイン差と予想しているのだが、本当にそれだけなのだろうか?

私はこれに加えて日米欧での美的価値感の違いにも由来しているように思う。
日本の多くのメーカーが、製品に新たな機能を次々と付加していく結果、色々なスイッチやボタンが増して、デザイン自体も複雑でわかりにくいものにしてしまい、逆にその個性が失われていくような、そんな現象に似ているのではないか。
確かに情報の多い名刺は、後々役立つことも多いし、実際はそこからアポイントをとることもある。
一方で、今はホームページアドレスがほとんどの名刺に記載されてもいる。
自社のビジネスモデルに本当に有効な情報発信であればいいが、やたらと発信するだけでは見る側が消化不良になるだけだろう。
posted by [w] axis at 11:37| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月23日

機能美とは何か?

以前から、「機能美」という言葉の本来の意味ってなんだろうかという疑問を抱いていた。
私が以前勤務していた某スポーツメーカーでも、開発者たちがデザインに関する話をする際に、よくこの言葉を使っていた。
その場合の意味としては、「最高の機能を追求することで、自ずとデザインも洗練される」。おそらく、こういったことが伝えたい内容ではないかと想像していた。

しかし、私はこの話を聞く度になぜか違和感を覚えていた。なぜなら、そこには何か言い訳めいたものを感じていたからである。
例えば、「機能はよくわかるけど、デザインについてはよくわからないから、機能さえ追求すれば解決するんじゃないか」とか、「デザイナーは、不要なデザインを
したがったり、チャラチャラしたデザインをするだけなので、あまりデザインしてほしくない」など、どちらかと言えば、デザインに消極的な技術者、開発者主体の目線から発せられる表現であるように聞こえているからだと思う。

因みに、機能美の意味を辞典で調べてみると、
(1)建築、工業製品などで余分な装飾を排してむだのない形態・構造を追求した結果、自然にあらわれる美しさ
(2)実用品として作られた物が、その機能を十分発揮することで発現する美
の概ねこの二つに大別されるが、上述の開発者が意図するのは、まさにこの(1)であろう。

確かに、プロダクトデザイナーにも「Forms Follow Function」という有名なフレーズが知られている。和訳すれは、「形状は機能に依る」だろうか。
この場合もこれまでと同様の意味を表現しているのだろう。

例えるなら、車でいうところのF-1用レーシングマシンがこれに当たるのかもしれない。確かに、とことん走りを極めたレーシングマシンは、世界中の人々を魅了し、人気の高い蒐集品としてのフィギュアカーから破格のお金が動く世界的イベントにもなっている。

このF-1レースではメーカーが異なれど、スピードという機能を追求した結果、どのメーカーであろうがその形状はどれも類似したものとなっている。まさに、「Forms Follow Function」なのだ。
究極の市場においては、機能差がすべてを決するため、「Follow Function」となることは望ましい。そしてその場合の”美”とは、究極の機能に宿るものであると思う。

ただ、私がそもそも機能美の使い方に違和感を覚えているのは、私たちの生活周辺に存在する一般市場と、F−1カーや航空機のような本当に機能だけでその価値を判断すべき世界とが異なるからだ。
自動車の例を用いれば、ベンツもアウディもBMWもそれぞれ、機能的価値を高めていながら、そのデザインについては我々消費者の受け止め方は異なる。
それ故に、それぞれのファンが存在している。

一般市場では、消費者は究極の機能を求めることはないし、場合によっては使いこなせない機能に辟易することさえあるのだ。そして、現代のように機能面での進化が著しい中では、各社の機能差は縮小し、些細な機能差では消費者を惹き付けることが困難になっている。
だからこそ、デザインの役割があるのだ。

しかし、先のスポーツメーカー開発者の例でもあるように、デザインに対しての消極的な意見も多くの日本企業の中では聞こえてくる。
まして、日本古来の美意識の中でも、先の辞典にあるような、「余分を排す」「無駄のない」が尊ばれてきたし、昭和30年代から50年代にかけての高度経済成長時には、機能を高めることで世界的競争力も高まることを実現できただけに、この機能美という言葉は当時のデザイン方針としては有効であったのだろうと思う。

機能美は Functional Beauty もしくは、Beauty of Functionとも訳される。
そして、哲学者でもあるグレン・パーソンズとアラン・カールソンという大学教授の共著に「Functinal Beauty」という本がある。
彼らは、この本の中でFunctional Beautyとは何であるかについて様々な考察を行っているのだが、その一節に、Relationship between function and aesthetic value という表現があった。「機能と美的価値との関係性」との意味であろう。

一般市場においては、機能美の説明としては「Forms Follow Function」よりもむしろ、「Relationship between function and aesthetic value」のほうがより適切ではないかと私は思う。
なぜなら、B2Cビジネスであれ、B2Bであれ、人が介在して物やサービスを取引する限り、そこには美的価値という概念があるからだ。
因みに、このaesthetic という単語は、”美的”や”審美的”という意味であるが、表層的な美しさよりもむしろ、本質的な美を指す、より概念的な単語だ。
人はいつも美しいものを求めるのだ。そしてその美しさは本質的な美であり、一過性でもなくまた表層的なものではない、根源的な美しさ、それが aesthetic の本来の意味だと思う。

一般市場における「機能美」とは、デザイナーが介在することにより、機能性に本質的な美的価値を加えるものであると、私は解釈したい。
その本質的な美的価値を加えることで、単なる無機質な機能が、個性を持った、いわゆるパーソナリティを伴った機能へと位置づけが変化するのではないか。
ここではじめて消費者にとって、好むパーソナリティや好まないパーソナリティなどの判別ができるようになる。いわゆる市場の中でのポジションが明確になるのである。

そしてその本質的な美的価値の判断基準となるものは、決してデザイナー個々人の属人的美的感覚ではなく、「ブランド」であると考える。
ブランドアイデンティティやブランドパーソナリティ、ブランドストーリーなどが明確であるブランドは、デザイナーの深い理解を助け、機能性に加える美的価値の方向性を定義していく。それをデザインに落とし込んでいくことがデザイナーの役割なのだ。
その絶え間ない追求は必ず消費者や購入者の心を打つ。そこにこそ機能美が存在するのではないだろうか。

昨今、外資系電機メーカー製品の販売が好調であるという。飽和状態であると思われていた白物家電市場に新規参入した外資系メーカーの製品が、市場を活性化している。その代表格が英国ブランドであるダイソンのサイクロン掃除機だ。
「かわらない吸引力」というコピーがすぐ浮かぶように、ブランディング視点でも参考になるメーカーだが、高価格であるにも関わらず掃除機販売数でいつも高い人気を誇るのは、優れた機能美を製品で表現していることも大きなり理由なのだろう。
posted by [w] axis at 11:46| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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