2014年04月23日

機能美とは何か?

以前から、「機能美」という言葉の本来の意味ってなんだろうかという疑問を抱いていた。
私が以前勤務していた某スポーツメーカーでも、開発者たちがデザインに関する話をする際に、よくこの言葉を使っていた。
その場合の意味としては、「最高の機能を追求することで、自ずとデザインも洗練される」。おそらく、こういったことが伝えたい内容ではないかと想像していた。

しかし、私はこの話を聞く度になぜか違和感を覚えていた。なぜなら、そこには何か言い訳めいたものを感じていたからである。
例えば、「機能はよくわかるけど、デザインについてはよくわからないから、機能さえ追求すれば解決するんじゃないか」とか、「デザイナーは、不要なデザインを
したがったり、チャラチャラしたデザインをするだけなので、あまりデザインしてほしくない」など、どちらかと言えば、デザインに消極的な技術者、開発者主体の目線から発せられる表現であるように聞こえているからだと思う。

因みに、機能美の意味を辞典で調べてみると、
(1)建築、工業製品などで余分な装飾を排してむだのない形態・構造を追求した結果、自然にあらわれる美しさ
(2)実用品として作られた物が、その機能を十分発揮することで発現する美
の概ねこの二つに大別されるが、上述の開発者が意図するのは、まさにこの(1)であろう。

確かに、プロダクトデザイナーにも「Forms Follow Function」という有名なフレーズが知られている。和訳すれは、「形状は機能に依る」だろうか。
この場合もこれまでと同様の意味を表現しているのだろう。

例えるなら、車でいうところのF-1用レーシングマシンがこれに当たるのかもしれない。確かに、とことん走りを極めたレーシングマシンは、世界中の人々を魅了し、人気の高い蒐集品としてのフィギュアカーから破格のお金が動く世界的イベントにもなっている。

このF-1レースではメーカーが異なれど、スピードという機能を追求した結果、どのメーカーであろうがその形状はどれも類似したものとなっている。まさに、「Forms Follow Function」なのだ。
究極の市場においては、機能差がすべてを決するため、「Follow Function」となることは望ましい。そしてその場合の”美”とは、究極の機能に宿るものであると思う。

ただ、私がそもそも機能美の使い方に違和感を覚えているのは、私たちの生活周辺に存在する一般市場と、F−1カーや航空機のような本当に機能だけでその価値を判断すべき世界とが異なるからだ。
自動車の例を用いれば、ベンツもアウディもBMWもそれぞれ、機能的価値を高めていながら、そのデザインについては我々消費者の受け止め方は異なる。
それ故に、それぞれのファンが存在している。

一般市場では、消費者は究極の機能を求めることはないし、場合によっては使いこなせない機能に辟易することさえあるのだ。そして、現代のように機能面での進化が著しい中では、各社の機能差は縮小し、些細な機能差では消費者を惹き付けることが困難になっている。
だからこそ、デザインの役割があるのだ。

しかし、先のスポーツメーカー開発者の例でもあるように、デザインに対しての消極的な意見も多くの日本企業の中では聞こえてくる。
まして、日本古来の美意識の中でも、先の辞典にあるような、「余分を排す」「無駄のない」が尊ばれてきたし、昭和30年代から50年代にかけての高度経済成長時には、機能を高めることで世界的競争力も高まることを実現できただけに、この機能美という言葉は当時のデザイン方針としては有効であったのだろうと思う。

機能美は Functional Beauty もしくは、Beauty of Functionとも訳される。
そして、哲学者でもあるグレン・パーソンズとアラン・カールソンという大学教授の共著に「Functinal Beauty」という本がある。
彼らは、この本の中でFunctional Beautyとは何であるかについて様々な考察を行っているのだが、その一節に、Relationship between function and aesthetic value という表現があった。「機能と美的価値との関係性」との意味であろう。

一般市場においては、機能美の説明としては「Forms Follow Function」よりもむしろ、「Relationship between function and aesthetic value」のほうがより適切ではないかと私は思う。
なぜなら、B2Cビジネスであれ、B2Bであれ、人が介在して物やサービスを取引する限り、そこには美的価値という概念があるからだ。
因みに、このaesthetic という単語は、”美的”や”審美的”という意味であるが、表層的な美しさよりもむしろ、本質的な美を指す、より概念的な単語だ。
人はいつも美しいものを求めるのだ。そしてその美しさは本質的な美であり、一過性でもなくまた表層的なものではない、根源的な美しさ、それが aesthetic の本来の意味だと思う。

一般市場における「機能美」とは、デザイナーが介在することにより、機能性に本質的な美的価値を加えるものであると、私は解釈したい。
その本質的な美的価値を加えることで、単なる無機質な機能が、個性を持った、いわゆるパーソナリティを伴った機能へと位置づけが変化するのではないか。
ここではじめて消費者にとって、好むパーソナリティや好まないパーソナリティなどの判別ができるようになる。いわゆる市場の中でのポジションが明確になるのである。

そしてその本質的な美的価値の判断基準となるものは、決してデザイナー個々人の属人的美的感覚ではなく、「ブランド」であると考える。
ブランドアイデンティティやブランドパーソナリティ、ブランドストーリーなどが明確であるブランドは、デザイナーの深い理解を助け、機能性に加える美的価値の方向性を定義していく。それをデザインに落とし込んでいくことがデザイナーの役割なのだ。
その絶え間ない追求は必ず消費者や購入者の心を打つ。そこにこそ機能美が存在するのではないだろうか。

昨今、外資系電機メーカー製品の販売が好調であるという。飽和状態であると思われていた白物家電市場に新規参入した外資系メーカーの製品が、市場を活性化している。その代表格が英国ブランドであるダイソンのサイクロン掃除機だ。
「かわらない吸引力」というコピーがすぐ浮かぶように、ブランディング視点でも参考になるメーカーだが、高価格であるにも関わらず掃除機販売数でいつも高い人気を誇るのは、優れた機能美を製品で表現していることも大きなり理由なのだろう。
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2014年03月03日

ファッション専門学校での講師

4月からファッション専門学校にて非常勤での講師を行う。
年間で30週と、夏休みなどを除いてほぼ毎週2時間ほどの講義となり、ファッションマーケティング論について教えていく予定だ。
その学校の卒業イベントとして、先日恒例のファッションショーが開催されたので見学に行った。
7組ほどの学生たちが一年間かけて制作した作品の披露であった。
こういったファッションショーを見学するのは何年ぶりだろうか。ましてや学生の作品となるとほぼ初めての経験となる。
7組はそれぞれクラシックな作品から近未来的な作品まで様々なテーマが発表され、デザインやモデル(学生本人たち)の雰囲気に合わせた音楽もリズム感に溢れ、短時間ではあったが楽しいイベントであった。
ショーの間は緊張した顔つきでなかなか笑みも少ない素人モデルであったが、イベント終了時の全員挨拶では達成感に溢れる瑞々しい笑顔が一杯で、見ているこちらも緊張感の後の安堵感を感じていた。

4月からこれらの学生に講義をするのだが、少しでも彼ら彼女たちが何を身につけたいのかを理解しながらの講義ができればと思う。その一方で、ファッションに対して学生たちがどのような視点を持っているのかを、いろいろ学べるのではないかとも期待している。

posted by [w] axis at 11:54| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月21日

後継者の覚悟

今月から新しいNHK大河ドラマ「軍師 官兵衛」が始まった。
これを機会として、官兵衛の人物像や当時の戦国武将と官兵衛の関わりなどを勉強するために関連本を購読してみた。
その著述の中に、官兵衛が隠居後、嫡男長政の行く末をひどく案じる場面がある。
家督を継いだ長政は、父親のこれまでの功績を認めつつも、自身のスタイルを築き上げることを目指していたことから、家臣の意見を積極的に収集するための催しを重視していた。
ある日の会合で官兵衛が見守る中、長政は一人の若い家臣が具申した意見にいたく感銘し、全員の前で、その意見に従う旨の発言をした。官兵衛は長政のそういった執政の態度をひどく懸念し続け、後年死に際し、「城主とは一族を守るためには孤独を受け入れ、最後は自分自身で決断しなければならない」との遺言を長政に残したと記されていた。
この一節を読んだ時に、ある中小企業の若手社長にインタビューした際の彼のコメントを思い起こした。
そのインタビューは中小企業の後継者育成支援の一環として、ある雑貨系中小企業を訪問したもので、現社長のN氏が父親の先代社長からどのように会社を継承し、そして現在のように会社を発展させたのか、その過程での後継問題への対応とリーダーシップについて伺うためのものであった。
まだ40歳前のN社長は、会社経営者としては6年ほどのキャリアなのだが、たまに懇談する際、私はその経営観にいつも刺激を得ていた。それだけにその日のインタビューではどんな実体験の話が伺えるのかとても楽しみであった。
もともと寡黙なタイプのN社長は、自身が経験されてきた後継問題に多くを語ることはなかったものの、最後に「最も大切なことは"覚悟"ですね。親父の腹心の部下であったとしても、これからの新しい経営方針にとって障害となるのであれば、辞してもらうことを要求する覚悟は必要です。やはり最後に決めるのはトップです。」と強調されたことがとても印象深かった。いかにも温厚で朴訥としたN社長の口からこの発言が出るや否や一瞬にしてその場はピーンとした緊張感に包まれた。
この「覚悟」は、実際にその立場になった者でしかその重みは感じられないと思うが、多くの後継者候補の方とって意味深い二文字に違いないと思う。
posted by [w] axis at 10:37| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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